檜舞台は3年生のためのものか?
大会の中止
サッカーに限らず、各種スポーツで起こっていることだと思います。
- 夏の大会がなくなった
- 3年生がかわいそう
- 区切りとなる大会(舞台)が必要
- 代替試合を都道府県レベルで用意する
私は的外れな気がしてなりません。
以前も同じような記事を書いたので、重なる部分は省略します。
1,2年生にとってはどうか?
3年生のために。
いろんなところで聞かれるワードです。
では、2年生にとってはどうか?
ただでさえ、めちゃくちゃイレギュラーが起こりまくっている今、みんなが3年生のために動いています。
なんとか3年生を送り出せたとして、次年度を担う2年生の来年1年間のことはどこまで考えられているのでしょうか?
このまままともなトレーニングもできずに、第2波、第3波を繰り返してチーム作りのできない時期が続いて冬や来年を迎えたら、それからまた今の2年生のために動き出すのでしょうか。
1年生はどうでしょうか?
まだまともにチームメイトと過ごしてすらいない、チームにまだ愛着も何もない1年生が、目の前の大会が無くなったことを嘆き、目の前の3年生をなんとか気持ちよく送り出すことばかり考えている指導者や先輩たちを見て、何を感じるのでしょうか。
どうとらえるか
私の考えはひとつです。
できないことはできないでしょうがない。
その中で子どもたちを導くのが指導者や親の役割だと思います。
3年生の最後の大会が無くなったなら、引退試合として、チーム内でユニフォームを着て後輩と本気の紅白戦をやる、近隣のライバルチームと公式戦さながらに審判や応援団を呼んだり競技場を借りたりして最後の真剣勝負をする、または、大会以外のモチベーション(プロを目指す、上手くなるなど)を指導者が対話の中で引き出してそこに向かわせるなど、いくらでもやれることはあります。
そんな、難しい現状に立ち向かおうとする3年生や指導者の姿を見て、後輩たちも「自分たちも大会ができなかったらどのように競技に向き合うか」「大会ができたときはいかに全力を出しきるか」など、考えると思います。
それこそが、子どもたちの成長というものではないでしょうか。
次のステージで活きる経験となるのではないのでしょうか?
私は、子どもたちの未来は、大会を中止した人ではなく、身近な大人にかかっていると思います。
たくさんのスポーツ少年少女の健やかな成長を願います。