世界にひとつだけの花
学校に行けない子
もし、あなたの子どもが学校に行けない子だったら、あなたはどうしますか?
- 行かなくてもいいと言う
- 話を聞く
- 黙って見守る
- なんとかして行かせる
きっと正解はその都度違うと思います。
ただ甘えているだけの場合は、ケツを叩いて送り出せばいいでしょうし、話を聞いてあげるだけでスッキリして行けるようになることもあるでしょう。
行けない理由はもしかしたら、朝起きられない病気かもしれないし、過度なストレスでどうしても足が重い場合もあるでしょう。
要は、大人が子どもを観察して、変化に気づいてあげたり、認めてあげたりすることだと思います。
避けるべきは親の価値観の押し付け
私がいろんな人の話を聞いて、本当に子どもが可哀想だと思うのはこのパターンです。
「ちゃんと学校に行きなさい」
「先生の言うことを聞きなさい」
「時間は守りなさい」
これらの当たり前とされていることは本当に必要なのでしょうか。
また、このようなことを教育する理由はなんでしょうか?
それは、親がこれまでそういう教育を受けてきたからです。
そして、世間の正解がそうなっているからです。
このような教育は、目上の人の言うことを聞き、決められた時間に決められたことをできる大人を生み出します。
これができない子は「社会で通用しないぞ」と言われます。
しかし、本当にそうでしょうか?
学校の成績や先生の評価によって進学や就職の選択肢が決まり、安定した企業に入って上司の評価によって出世が決まる。
30歳ぐらいまでに結婚して男は仕事、女は家庭、ローンで一軒家とファミリーカーを買い、お金がないと言いながら、自分が受けてきた教育を同じように子どもに受けさせる。
この生き方だけが正解でしょうか?
これからの社会は、そんなことはないと思います。
本人は?
よくある光景です。
親同士や、親と先生、親とサッカーのコーチなどが子どもの進路について熱心に話している。
怒ったり謝ったりしている。
本人そっちのけで。
でも一番大切なのは、本人がどうしたいか?この一点に尽きると思います。
それも、プレッシャーを受けて言わされた答えでなく、本当に自分で考えて自分の中から出てくる意志です。
それが、親の期待や見栄、学校の評判や先生の評価にどう繋がるかなど、関係ないんです。
よく大人は言います。
- 「どれだけの大人が動いていると思っているのか」
- 「クラスのみんなに迷惑がかかる」
- 「君の後輩たちの選択肢が狭まる」
- 「相手方に申し訳ない」
- 「君のために言っているんだ」
すべて、大人が自分を守るためだけの言葉です。
だれかに迷惑をかけるなら、その責任を親や先生、コーチが背負ってあげて、頭を下げるべきところには下げればいいだけの話です。
本人には、そんなしがらみを感じさせずに好きに生きさせてあげてはどうでしょうか?
学校に行かなくたって、いい大学に行かなくたって、一般企業で適応できる力が無くたって、その子はその子で世界一愛おしい存在です。
そして、他の人にない魅力が必ずあります。
それを見出だしてあげて、その子だけの人生を歩ませてあげる。
そんな大人でありたいといつも思っています。