リーダーの器
子どもの教育の目的は?
子どもは生まれてから大人になるまで、たくさんの大人に育てられます。
仮に、高校卒業までで考えます。
両親、祖父母などの家族や親戚、保育園や幼稚園の先生、友だちの親、学校の先生、習い事の先生やコーチ、バイト先の店長や先輩など。
まだあるかもしれませんが、多くの大人に育てられていることは間違いなさそうです。
では、それぞれの大人は、何のために子どもの教育をするのでしょうか?
多くの大人は、問題を起こさないためや、人に迷惑をかけないために教育しているような気がしてなりません。
どうして問題を起こしてはいけないのでしょう?
それはいろんな人に迷惑がかかるからです。
なので、大人は言います。
「人に迷惑をかけるな」
このとき、大人はつけ加えます。
学校の先生なら、「学校の責任になる」
チームの指導者なら、「うちのチームが悪いと言われる」
親なら、「あんたのせいで恥ずかしくて近所を歩けない」
どうでしょう?
これは、教育と言えるでしょうか?
1人の行動でみんなが悪いと思われる
私も中学生や高校生のときによくハゲた校長先生や偉そうな学年主任などが言っていたことを覚えています。
「たった1人の行動でも、キミひとりではなく、○○中学校の生徒が…と言われる。○○中学校の看板を背負っていると思って行動しなければならない。」
それは本当でしょうか?
○○中学校の生徒が自転車で2人乗りをしているのを見かけたら、その学校全員が2人乗りしていると思いますか?
タバコを吸っているのを見かけたら、全員が吸っていると思いますか?
そんなことだれも思わないはずです。
ただ、大丈夫かな、と心配になって学校に連絡することはあるでしょう。
そのときは、学校で調査して、事実関係を確認して、教育して、場合によってはしかるべき処分をすればいいだけです。
それを、やれ、その子が悪いだの、担任の教育がなってないだの、親はどうなってんだなど、騒ぐことは筋違いです。
教育をしましょう。
成長
私の考えを述べます。
教育とは、成長させること、そしてそのきっかけを与えること、それに尽きると思います。
学校や指導者や親の身を守るために言うことを聞かせることが教育ではないです。
本人が成長するきっかけを与えてあげられたなら、一時的に問題を起こしたって、人に迷惑をかけたっていいと思います。
だって子どもですから。
そして、1回の指導ぐらいで、懲りずにまた問題を起こしたってしょうがないと思います。
だって、子どもですから。
子どもに関わる大人のみなさん、成長に失敗はつきものです。
長い目で信じて見守りましょう。
子どもはきっといつかわかってくれます。
それは、明日かもしれないし、来年かもしれないし、10年後かもしれません。
でも、信じて見守り続けること、きっかけを与え続けることが、私は本当の教育だと思います。
それをできない人が、すぐ処分処分と言ったり、罰を与えたりします。
懲らしめて優越感に浸っている場合ではありません。
子どもの気持ちに寄り添いましょう。
なんでそんなことをしてしまったのか?
一緒に考えましょう。
「おまえのそんな気持ちに気づいてやれてなかった」
「そんなに思い詰めていたんだな」
「友だちを思うがゆえのことだったんだな」
「ごめんな」
大人が信じないと、子どもも信じてくれません。
自分や自分の組織のメンツよりも子どもを守ってあげましょう。
そういう心意気を見せてあげましょう。
子どもは、自分自身ばかりを守る大人に気づいています。
辟易しています。
諦めています。
泣いています。
だから問題を起こすんです。
「問題を起こすな!」
と言うから、問題を起こすんです。
「人に迷惑をかけるな!」
と言うから、人に迷惑をかけるんです。
くだらないメンツは捨てましょう。
いつでも責任を取る覚悟で子どもを預かりましょう。
それが私たちの仕事です。