サッカー推薦で子供を進学させたい人へ
サッカー推薦
中学、高校、大学などへ子供をサッカー推薦や特待生で進学させたいと思っているあなたへ。
それはなぜですか?
- 子供のやりたいサッカーをいい環境でさせてあげたいから
- 家計が苦しいから
- 親の見栄
多くの人が1. と答えるでしょう。
でも、本当にそれが理由なら特待生である必要はありません。
一般受験でも何でも、行きたいところに行ければそれでいいはずです。
本当の理由は、ほぼ2. か3. だと思います。
それが悪いとは思いません。
ただ、親自身がそれを認識していないことが大きな問題だと思います。
お金か見栄が本当の理由なのに、それに気づいていないとしたら、無意識のうちに親が子供を縛りつけていたり、利用してしまっていると言えると思います。
まずは、親自身が自分を客観視して、子供をのためという言葉で親の思いを優先していないかを見つめ直しましょう。
特待生は得なのか?
その上で、です。
サッカー推薦や特待生で進学することは、得なのでしょうか?
例えば、日本代表クラスで、全国トップクラスの高校やJ1のビッグクラブからいくつも誘いがあるような子ならば、その一芸を進学に利用するのはアリでしょうし、親孝行とも言えると思います。
しかし、今の時代、どこでも何でもかんでも推薦枠があります。
県内でちょっと力を入れているぐらいの学校にスポーツ推薦や特待生で進学するとどうなるでしょうか?
- 受験という一生で数回の苦手なことに立ち向かう機会を逃す
- 勘違いを生む
この2つは、私はかなり大きなことだと思います。
どちらも、努力することを忘れてしまうからです。
受験は、長期に渡るとても辛いイベントです。
親も気が気ではない時期が続くし、ときには涙することもあるでしょう。
そして、もし第一志望に合格すれば一生忘れない天にも昇る気持ちになりますし、それが叶わなければしばらく立ち直れないかもしれません。
これらの経験は、そのまま人生の大きな糧になります。
また、家族の絆も強まります。
親もかける言葉を考えたりして、成長できます。
この経験を逃すのは、長い目で見たらめちゃくちゃもったいなくないですか?
そして、大したレベルでもないのに、
「おれは受験なしで入った」
「おれは特別」
「こいつらと違っておれには努力は必要ない」
無意識のうちにそんな慢心が本人にも、親にも芽生えてしまいます。
人生に特待生はありません(名言!)。
社会に出れば、サラリーマンでも、経営者でも、プロスポーツ選手でも、自分の力で道を切り開いていかなければなりません。
そのときに、「高校は特待でした」という自慢は何の武器にもなりません。
本当に子供の幸せを願うのであれば、スポーツ推薦や特待生という響きにとらわれずに、行きたい学校に行くことを優先して、親子で受験を乗り越えるほうがいいんじゃないかと個人的には思います。
その結果、その学校から特待生の話が運良くくれば、相思相愛ということで、そのお話ありがたくお受けしますということでいいんじゃないでしょうか。