サッカーおやじの妊活&子育て奮闘記

男が家族のためにできること

母の記憶~完結編

テセウスの船が今日ついに完結しますね。

100日後に死ぬワニも素敵な結末でした。

 

そして私も昨日まで12日間に渡って「家族」と「命」について考えてきました。

 

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母の記憶①

・あらすじ ・ある日のこと ・手術

母の記憶②

・自分の女性としての身体よりも家族を優先してくれた母 ・再び ・偉大な父 ・一時退院

母の記憶③

・再入院 ・母の涙 ・夏休み

母の記憶④

・サッカーの合宿に行くのか行かないのか ・家に帰ると… ・病院に着くと…

母の記憶~その後①

・兄弟の傷 ・火葬

母の記憶~その後②

・日常の生活へ ・2学期の初日 ・家では

母の記憶~その後③

・中学校入学 ・中学校初日 ・幼なじみの家族 ・弁当のある生活

母の記憶~その後④

・父と弟 ・父の性格 ・祖父と祖母 ・祖父の死 ・父は

母の記憶~その後⑤

・弟 ・弟の性格 ・母がいなくなって ・統合失調症 ・今は

母の記憶~その後⑥

・それぞれの生活 ・家族の形の変化 ・父の再婚相手

母の記憶~その後⑦

・新しい家族 ・父への報告 ・結婚式

母の記憶~その後⑧

・結婚するときの問題点 ・寛容な妻とご両親 ・結婚指輪 


 

「家族」と「命」

 

 

指輪をもらい、幸せな結婚生活をスタートさせた私たちでしたが、そんな私たちに降りかかってきたのが不妊という問題でした。

 

これまでにも綴ってきたように、結婚から5年後に長女を授かり、2人目妊活でもさまざまな障壁はありましたがなんとか妊娠までたどり着くことができました。

 

しかし、最初に不妊と知ったときには、正直、

 

「やっと普通の幸せな人生を歩めると思ったのにまだ試練があるのか」

 

と思いました。

 

「家族」や「命」というものは儚いものだ、一生その儚さを感じながら生きろ、とだれかに言われているような気がしてなりません。

 

こんな私の家族になってくれた妻と、私たちのもとに来てくれた娘は、一生私の宝物です。

 

私もわがままですし、なかなかうまくいかないこともありますが、そんなことも含めて、家族揃って普通に暮らせることの喜びを感じながら生きていきたいと思います。

 

最後に…

 

36年前、私が生まれる前、まだ性別が決まっていなかったときのことです。

 

男の子だったら、女の子だったら、と父と母で名前を考えていました。

 

男の子の名前は、話し合いながら画数なども調べながら2つに候補を絞り、結果的にそれが今の私と弟の名前になりました。

 

女の子の名前では、父の意見も画数も関係なく、母がどうしてもこれがいいと言った名前がありました。

 

私たちは2人兄弟だったので、結果的にその名前は使われませんでしたが、母はさぞかしその名前を気に入り、夏祭りの金魚すくいで取ってきた金魚にその名前を付けるほどでした。

 

 

母が好きだったその名前は今、田舎に帰れば母が好きだった人たちが呼び、そして私の妻が毎日笑ったり怒ったりしながら呼ぶ名前になりました。

 

 

母の記憶 完