サッカーおやじの妊活&子育て奮闘記

男が家族のためにできること

母の記憶~その後④

私の少年時代の母の記憶と、母が亡くなってからの印象的な出来事を綴っています。

ドラマやドキュメンタリーで描かれるどん底からの復活劇は美しいですが、復活するまでにどんな苦しみがあるかはあまり描かれないので、そこを書くことに価値があると思って書いています。

辛い回もありますが、ぜひ最初から全部読んでいただけると嬉しいです。

 

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父と弟

 

母がいなくなったあと、昨日ご紹介したお姉ちゃんのように、周囲に理解してくれる人、助けてくれる人がいることで、私は悲しみから少しずつ抜け出し、幸せな生活を送れるようになりました。

 

しかし、父と弟は私とは比べられないくらいの苦しみを味わうことになりました。

 

今日は、父の話をしたいと思います。

 

父の性格

 

父は、もともと人付きあいの上手い人間ではありませんでした。

 

趣味も観葉植物や古本収集など、1人で楽しむ地味なものばかりでした。

 

そんな父をさらに塞ぎ込ませたのは、やはり妻、父、そして母を3年間で失ったことだと思います。

 

父の両親、つまり私の祖父母は高齢で、老老介護でもあったので、母の死に比べると、仕方ないというか、まっとうな死ではあったと思います。

しかし、母の死から1年も経たないうちに祖父が亡くなり、その2年後には祖母も亡くなって、6人家族が一気に3人になってしまったことは、やはり残された私たちにはとても辛いことでした。

特に、父にとっては、自分の運命を恨むというか、年を追うほどに悲観的な性格になっていったような気がします。

 

しかし、そんな中にもドラマもありました。

 

祖父と祖母

 

祖母は末っ子でお嬢さんでとてもわがままな人でした。

 

母方の祖母とは違いほとんどお小遣いもくれないし、いつも父にも祖父にも、嫁である私の母にも文句ばっかり言っていました。

 

一方、祖父は気が弱く、祖母の言いなりでしたが、頑固な一面もありました。

 

私は知りませんが、若い頃は酔っぱらって帰ってきては大声で叫び、幼少期の父の記憶では怖かった思い出ばかりだとよく聞いていました。

 

そんな祖父母なので、お互い愛し合っていたのか私にはすごく疑問でした。

 

祖父の死

 

老老介護になり、しばらくして、祖母が老人ホームに入ることになりました。

 

祖父は、こまめに様子を見に行っていました。

 

しかし、私の母の死からわずか半年後、突然祖父は亡くなってしまいました。

 

父は、悲しむ間もなく、祖母の心配をしていました。

 

父には3人の姉がいて、姉たちと相談し、祖母には祖父の死について話さないことになりました。

 

理由は、祖母も衰弱しており心臓も悪かったので、祖父の死を伝えることは、場合によってはショックによる最悪の事態も想定されたからでした。

 

また、祖母は少しずつ呆け始めていたこともあり、なんとかごまかしていけるんじゃないかということでした。

 

祖父の葬儀に出席できないことは可哀想でしたが、祖母の命には代えられないということでした。

 

当然、子どもの私たちも、同じように振る舞わなければなりませんでした。

 

お見舞いに行けば、祖母は試しているかのように、

 

「最近、じいちゃん来てくれんねぇ。」

 

小6の私と小3の弟は、

 

「じいちゃん今体調悪くてねぇ。」

 

ときには、

 

「えっ、この前来たよ。ばあちゃん忘れたの?」

 

と、2年間嘘をつき続けました。

 

それはそれは辛かったです。

 

そして、いよいよ、もう祖母の命もあと数日というときになりました。

 

85歳を越えていたと思います。

20年以上前ですし、もう寿命という感じで、母の死のときとは違い、家族や親戚も覚悟はできていました。

 

たまたま、祖父が亡くなったのと同じ時期で、2日後に祖父の命日を迎えるというタイミングに、病院から連絡がありました。

 

「明日までもたないでしょう。」

 

ばあちゃんも一生懸命生きたから、家族みんなで見送ってあげようと、姉たちも集まってきました。

 

そしてなんとか夜を越え、祖父の命日まであと1日となりました。

 

しかし、1日ももつような状態ではなく、みんな、

 

「もう少しでじいちゃんの命日やったのにね。」

 

と話していました。

 

しかし、祖母は意識はないものの、そこから24時間生き続け、日付けをまたいで祖父の命日になった4分後に静かに息を引き取りました。

 

祖父の死すら知らなかったので、命日など知るはずもありませんが、もしかしたらふてぶてしい祖母には子や孫たちの嘘はお見通しだったのかもしれません。

 

そしてなにより、最後の最後に私たちに生きることへの執着心を見せてくれたように感じました。

 

父は

 

生前には、祖父母のことは悪く言ってばかりの父でしたが、この日ばかりはなんだか少し嬉しそうでした。

 

若くして妻を亡くし、半年後に父を失った父を見たときには、子供ながらになんと声をかけたらいいかわかりませんでしたが、その2回に比べると、この日は晴れやかでした。

 

そして、私にとっても、祖父と祖母はやっぱり愛し合っていたんだということがわかったような気がして嬉しかったです。