母の記憶~その後⑧
私の少年時代の母の記憶と、母が亡くなってからの印象的な出来事を綴っています。
辛い回もありますが、ぜひ最初から全部読んでいただけると嬉しいです。
昨日綴ったように、私たちの結婚式は幸せに包まれ、たくさんの人に笑顔になってもらえたと思います。 この結婚式にたどり着くまでには、こんなことがありました。 私たちが結婚したのは、28歳と26歳。 年齢的には適齢期と言えるでしょうが、私は5年間大学院に通っていました。 妻も大学卒業後、2年間働いたのち、大学院受験により私の後輩になりました。 そこで私たちは出会ったわけですが、ちょうど5年コースの私の卒業と2年コースの妻の卒業が同じ年でした。 卒業のタイミングで結婚し、引っ越し、まともに働き始めました。 なので、当然すぐに結婚式を挙げられる状態ではなかったです。 大学生の頃からのアルバイトとサッカーのコーチをしながら親に頼って生活をしていたので、なんとか婚約指輪は渡せましたが、結婚指輪はすぐには難しいかなと思っていました。 妻もあまりそういうことろにこだわりのない人なので、私も自分の力でしっかり稼げるようになってから渡そうと思っていました。 それにしても、妻のご両親も本当に優しくて寛容です。 28歳にもなってまともに就職もしていない、しかも大学院を卒業したのに大学で働くわけでもなくサッカーのコーチ、しかもまともに働き始めると同時に結婚して娘を田舎に一緒に連れていくという私のわがままを認めてくれたのですから。 妻もそうです。 私はいつクビになるかもわからない不安定な仕事ですし、休みも少ないです。 結婚してくれてありがとうと今でも思います。 肝心の結婚指輪はというと、父の家に報告しに行った日のことです。 見送ると言って奥さんを置いて外まで出てきました。 父は古びたふたつの箱を私たちに渡しました。 「大事に持ってたんやけど、あいつには見せられんし、タンスの奥にあるよりおまえたちが使ってくれるならそんな嬉しいことはない。 サイズが合わんかったら作り直してくれ。」 それは父と母の結婚指輪でした。 指輪の内側には、私が生まれる2年前の日付とふたりのイニシャルが。 つけてみると、私も妻もピッタリでした。 新婚のふたりにはとてもヴィンテージ感のある代物ですが、おかげで汚したり傷つけたりすることに抵抗がなく(笑)、その日から毎日今でもふたつの指輪は私と妻の指で輝いています。
結婚するときの問題点
寛容な妻とご両親
結婚指輪