母の記憶~その後⑤
私の少年時代の母の記憶と、母が亡くなってからの印象的な出来事を綴っています。
辛い回もありますが、ぜひ最初から全部読んでいただけると嬉しいです。
昨日、書かせてもらいましたが、私には父と弟がいます。 今日は弟のことを書いてみます。 弟はとてもまじめで頭がいいです。 頭がいいというのは、学校の成績じゃなく、自分で物事を考えるということです。 まじめな分要領が悪く、周りに合わせることもなかなかできずに、幼稚園児の頃から登園・登校を嫌がっていました。 今思えば、幼稚園や学校に行かなければいけない理由がわからなかったのでしょう。 言われた通りにやることよりも、理由を考えたり、自己主張したりできる子だったんだと思います。 当時は、両親も若かったですし、今のように多様性が認められる時代でもなかったので、父も母もとにかく幼稚園行け、学校行けという感じでした。 それが余計弟には納得いかなかったのでしょう。 毎日暴れていました。 そんな弟ですが、やはり母は心から弟のことを愛していたし、弟もそれを感じていました。 弟にとっては両親は数少ない理解者でもあったので、7歳で母を失ったことことは弟にとっては大きな傷となりました。 それ以降、家族以外の人に心を開けなくなり、今でも統合失調症という病気で苦しんでいます。 仕事もアルバイト以外まともにしたこともないし、友達も1人もいません。 交際もしたことがないので、女性を好きになることがどういうことなのかということもなかなか理解できずにいます。 母親世代の女性を好きになることもありました。 それは、母として求めているのか、恋愛対象としてなのか、それも理解できません。 自分は女性のことが好きなのかもわからなくなりました。 もちろん、さまざまな性的志向があっていいと思いますので、否定するつもりはないです。 ただ、本人がわからない状態というのはとても辛いと思います。 母親の愛情をもう何年か受けていたら、また違っていたようにも思います。 この病気は本当に難しいです。 この診断すら正しいのかよくわかりません。 一言で言えば、メンタルが弱い、で片付けられてしまう症状だからです。 人とうまくコミュニケーションが取れない。 どんな行動を起こすにも不安を感じてしまう。 そして、小学校も中学校もまともに行っていない弟は当然勉強にもついていけません。 高校には行けるのかな、社会に出られるのかな。 そんな不安が悪循環を生みます。 当時は私も弟のことを理解したり、認めたりできなかったので、不安を煽ってしまうような関わり方しかしていなかったと思います。 本人のためと思って言う厳しい言葉がどんなに弟を傷つけていたことでしょう。 「お前、今のままじゃやばいぞ」 そんなこと、自分が一番分かっているし、でもどうしようもないから困っているんです。 それを分かってあげられなかったことにとても後悔しています。 暴れたり、隠れてタバコやお酒に手を出したりすることは、SOSのメッセージだったんだと思います。 今は、住んでいる場所も遠くなってしまい、父も弟も私もバラバラに住んでいます。 そんな中で、毎日60錠の薬を必要とするとても苦しい生活を送っています。 年に1回、家族が集まりますが、そのときには、弟の体調はとても良くなります。 やはり、本能的に家族を必要としているんでしょうし、毎日人と会って会話をすることがいかに大切かということがよくわかります。 年に1回の再開のときに弟は1年分しゃべります。 そして、恥ずかしがることもなく家族への愛情や感謝を口にします。 私の妻や娘のことも本当に大切に思ってくれていて、それぞれの誕生日や私たちの結婚記念日には、私が忘れていても必ず弟からおめでとうとメールが来ます。 なんとか弟の人生を輝かせられないかと私も悩んでいます。 まじめで、優しい弟に幸せになってもらいたいと願っています。
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弟の性格
母がいなくなって
統合失調症
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