母の記憶~その後①
母の最期の日までの記憶をたどってきました。
思い出していると、母と過ごした11年間のことを皆様に伝えるには、その後の25年間も知ってもらいたいと思うようになりました。
なので、これから母が亡くなったその日からのことを綴っていきます。
母の心臓が動かなくなったその日、私は小学5年生、弟は2年生でした。 母はその日のうちに家に運ばれ、お通夜は次の日にすることになりました。 私は泣き疲れて眠ってしまい、気づいたら朝でした。 起きたとき、昨日のことは夢なんじゃないかと一瞬思いました。 しかし、確かに冷たくなった母はそこにいました。 多くの親戚や知り合いが、悲しみに暮れたり、お通夜や葬儀の準備を進めたりしていましたが、私は周りにだれがいても構わず、ずっと冷たい母の隣に寝転んで寄り添っていました。 弟は、とにかく棺に入れることを拒み、 「絶対ママを燃やさないでよ!」 父から葬儀社の人から、大人という大人に言って回っていました。 いよいよ家から葬儀場に運ぶことになり、棺に入れるときが来ました。 私は静かに母の横から離れました。 弟は暴れていましたが、父が何とか収めました。 お通夜、そして葬儀が終わり、火葬場に運ぶとき、再び弟が暴れだしました。 「燃やすなー! 絶対、ママを燃やすなー!!!」 父が弟を押さえつけ、 「大丈夫!燃やさないって!!」 嘘をつくしかありませんでした。 しばらく暴れた弟は、疲れて眠ってしまいました。 その間に、母の棺は火葬炉に入れられ、火葬が行われました。 火葬が終わるまでの待ち時間の間に弟は目覚めました。 父を始め、大人のだれも、弟に火葬のことは言えませんでした。 火葬が終わり、骨上げの時間になりました。 父と私と弟は、大きな箸を持ち、母と対面します。 弟は、そこで初めて火葬が行われたことに気づきました。 怒り狂った弟は、大きな箸をまっぷたつに折り、葬儀社の人に投げつけて叫びました。 「燃やすなって言ったやろ!!」 私は、 「やめろ!」 と言いながら弟を押さえつけました。 それからのことは、よく覚えていません。 後に祖母から聞きました。 「あのときは、可哀想でだれも止められなかった。 必死で止めるあんたにも、どう声を掛けたらいいかも分からなかった。」 そのときは、なんて非常識な弟かと思いました。 しかし、大人になればなるほど、人は悲しみを思いっきり表現することはできなくなっていきます。 7歳の子の何も包み隠さない、ただただ母の死を悲しみ、受け止めきれず、苦悩する姿は、最愛の妻または娘、姉、友人を失ったその場にいる大人全員の気持ちを代弁していたのではないかと思います。 だからきっと、だれも止めれられなかったのでしょう。 そして、自分も同じように悲しみたいのに、ひとりで弟をなだめようとする11歳の私にも、その場にいる全員が胸を痛めていたんだと思います。
兄弟の傷
火葬