サッカーおやじの妊活&子育て奮闘記

男が家族のためにできること

母の記憶③

私の少年時代の母との思い出を書いています。

ぜひ最初から読んでください。

 

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再入院

 

息子たちの運動会を思いっきり楽しんだあとの母は、それ以降も私たちの前では明るく振る舞ってくれました。

 

しかし、病状は悪くなる一方でした。

 

腹水が溜まり、母のお腹はパンパンに膨れ上がっていました。

 

25年前当時は、腹水が溜まる=余命宣告という時代だっと思います。

 

おそらく、私の父と祖母には主治医から話があったんだと思いますが、母には言っていなかったんだと思います。

 

ただ、母は看護婦だったので自分の病状はある程度わかっていたのでしょう。

 

今でも鮮明に覚えている瞬間があります。

 

母の涙

 

いつものように父と弟と3人でお見舞いに行ったある日のことです。

 

私は弟を連れて売店に行きました。

 

帰ってくると、母が泣いていました。

 

「わたしもうだめかもしれん。

子どもたちどうしたらいいの。」

 

母の涙を見たのは初めてでした。

 

父が寄り添い、

 

「バカなこと言うな。大丈夫。」

 

母は泣きながら、

 

「大丈夫じゃないよ!

ぜんぜん良くなってないもん!」

 

父は諭すように、

 

「大丈夫。治すんだろ。

もうちょっとだよ。」

 

病室に戻ってきた私たちに気づいた母は、涙をぬぐって笑いました。

 

「おかえり。」

 

そのとき私は思いました。

 

「ママはぼくたちよりずっとずっと辛い思いをしてたんだなぁ。」

 

夏休み

 

地元のクラブチームでサッカーをしていた私には楽しみにしていたことがありました。

 

夏の合宿です。

 

5年生になると、夏休みの終わり際に、チームの選抜メンバーで合宿に行きます。

 

4年生まではそういう選抜などにはあまり入っていませんでしたが、5年生になってそのメンバーに選ばれ、父も母も喜んでくれていました。

 

合宿の日が近づき、私は楽しみな気持ちを強くしていました。

 

しかし、同時に、

 

「合宿に行っていいのかな。

ママは元気でいてくれるかな。

パパと弟は大丈夫かな。」

 

そんな気持ちも強くなっていきました。