サッカーおやじの妊活&子育て奮闘記

男が家族のためにできること

母の記憶④

私の少年時代の母との思い出を書いています。

ぜひ最初から読んでください。

 

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サッカーの合宿に行くのか行かないのか

 

乳癌の肺への転移により、衰弱している母。

 

不安を抱える家族。

 

こんな中、ぼくはサッカーの合宿に参加していいものか…

 

悩んでいるうちについに前日になってしまいました。

 

 

お見舞いに行ったときに、なんとなく嫌な予感がして、思わず母に言いました。

 

「サッカー行きたくない!合宿休む!」

 

ベソをかく私に母は優しく一言。

 

「あんたが好きでやってるんでしょ?

行ってきなさい。」

 

やっと、私も行こうと決心できました。

 

せっかく行くと決めた合宿なので、その期間中は全力でプレーし、そして楽しみました。

 

25年経った今でも、夜のミーティングの内容も覚えています。

 

満足いく合宿を終え、バスを降りてひとり家に帰りました。

 

家に帰ると…

 

「ただいまー。」

 

家では、普段そんなに会うことがない伯母(父の姉)が1人で家にいました。

 

伯母はおかえりも言わず、

 

「すぐに車に乗りなさい。病院行くよ。」

 

小学生の私には、事態がつかめません。

 

何で伯母がひとりで家にいるのかも、そんなに急いで病院に行かなければならない理由も。

 

伯母は私がすべてを察していると思ったのか、どう説明していいか分からなかったのか、車の中では特に深刻な話しはしなかったと思います。

 

幼い私には、ただなんかいつもと違うんだということしかわかりませんでした。

 

病院に着くと…

 

車を停めると、すぐに病室に向かいました。

 

そこでさらに異様な光景を目の当たりにします。

 

なんと、病室には祖父母や親戚、母の友人までが集まっていました。

 

そして大人たちがみんな泣いています。

 

その中心に管のついた状態で心臓マッサージをされる母。

 

その隣で泣いている父と弟。

 

父の涙を見たことがなかった私は、ただならぬことなんだと思いました。

 

父は私を見つけるなり、

 

「こっちにこい!ママに言葉をかけてやれ!」

 

私は混乱しながらも、

 

「サッカー頑張ってきたよ。」

 

すると、主治医は心臓マッサージをやめ、静かに手を合わせました。

 

私はやっとすべてを把握し、頭が真っ白になりました。

 

もうずいぶん前から意識もなく、身体の機能も失われていたそうです。

 

そんな中、息子の私が到着するまでという父の頼みで、ただ心臓を動かすためだけに10分以上心臓マッサージをし続け、生きている状態で私を待ってくれていたそうです。

 

私の最後の言葉が母に届いているかはわかりません。

 

そのときは、合宿に行ったことを心底後悔しました。

 

私だけが母の最後の1日を一緒に過ごすことも話すこともできなかったのですから。

 

思い返せば、私が最後にもらった言葉は、

 

「あんたが好きでやってるんでしょ?

行ってきなさい。」

 

でした。

 

しばらく月日が流れてから思いました。

 

母は自分の状態をわかった上で、もう会えないかもしれない息子に対して、どんな気持ちでその言葉をかけたんだろう。

 

自分が同じ立場なら「行かないで」って言ってしまうだろう。

 

そう思うと、母からもらった最後の言葉は、私に生きる強さと、愛する人を思いやる心を与えてくれました。

 

36歳の誕生日を数日後に控えた人の言葉でした。

 

今年、私は母の年齢を追い越します。