素直であることと自己主張できることは相反することか?
昨日は、挨拶を子どものうちに表面上できるようにする教育が、挨拶ができない大人を生み出している話をしました。
今日は、「素直な人になってほしい」「自分の意見を言えるようになってほしい」と願う多くの指導者や保護者が陥っている問題について綴ります。
素直な人になってほしい
多くの人が子どもに望むことだと思います。
そして、素直とは往々にして、「人の言うことを聞く」という風に言い換えられ、
「言うことを聞きなさい!」
「言うとおりにしなさい!」
という指導に行きつきます。
では具体的にスポーツ指導のどんな場面で人の言うとおりにする指導が求められているのでしょうか。
審判の判定に対して
サッカー以外の競技でもそうでしょうが、育成年代における試合の審判は、多くの場合大人が行います。
チームの指導者や保護者、派遣された審判など、謝金の有無にかかわらず大人が時間を割いて審判をすることで子どもたちのプレー環境が成立しています。
そのため、
「審判をしてくれる人がいて初めて試合は成立する、だから審判へのリスペクトを忘れてはいけない」
大人は子どもにそう教えます。
これは大人になる上でも、サッカー選手になる上でも、とても大切なことですし、どんな弱小チームでもこういったことを大切に指導されていることは素晴らしいことだと思います。
しかし、です。
この考えに偏りすぎた指導が横行しているのではないかと思います。
審判や指導者など、関わる大人に敬意を払うことは大切ですが、子どもたちは何のためにサッカーをしているのでしょうか?
「サッカーがうまくなりたい!」
「試合に勝ちたい! 」
みんな純粋な気持ちでプレーしているはずです。
試合に勝ちたい!と強く思えば、自分がルールの範囲でプレーしたときに、反則の笛が吹かれれば、瞬間的に
「えっ?」
「なんで!」
「ファウルじゃないよ!」
と思うのは当然のことです。
実際に判定が間違っていることも多くあります。
そんなとき、決まって大人は、
「文句言うな!」
「審判に従え!」
と言います。
ひどい場合は、審判や相手ベンチからもそんなことを言われます。
しかし、一生懸命プレーしている子どもからしたら、思わず出てしまう反応です。
それをすべて表に出さないことなど、スポーツと言えるのでしょうか?
スポーツの醍醐味は、ゴールシーンや勝利の瞬間などの喜びが爆発する場面、負けた瞬間の悲しみが露わになる場面、そんな瞬間にみんな心を打たれるんだと思います。
試合中の一瞬の感情表現を奪われた子どもたちは、感受性を奪われていき、心を動かすことができなくなっていくのではないかと思います。
では、なぜそのような指導が行われるのでしょうか?
指導者が、
「おまえのチームの子たちは態度が悪い」
と、言われるのが怖いのです。
挨拶と同じです。
場合によっては保護者も、
「うちの子は礼儀正しかったのに、そちらに預けてから態度が悪くなった」
などと言い出す人もいます。
一方で、です。
子どもが「えっ」と思うような判定をする審判に対しての言及はほとんどありません。
選手である子どもが審判や指導者をリスペクトするように、審判や指導者である大人も選手である子どもをリスペクトしているでしょうか?
審判をするなら、必要な知識を持って、しっかりプレーを見てあげる。
間違った判定をしたと思えば、素直に認めて子どもに謝る。
そんな大切なことをすっ飛ばして、「審判に従え!」と言われても、子どもは納得できないでしょう。
自分の意見を言える人になってほしい
百歩譲って、
- なによりも礼儀正しさ
- 理不尽な中でも言うことを聞く
それがチームの方針だというのであれば、それもひとつなのかもしれません。
ただ、私がどうしても納得できないのは、そんな指導者のこのような言葉です。
「うちの子たちは、自分で考えることができないんだよ」
「自己主張できるやつがいなくて」
「発言する力がない」
あたりまえです。
あなたがそういう選手を育てているんでしょ、としか言いようがないです。
自分の考えを持ち、それをチームメイトましてや指導者に伝えることはそんなに簡単なことではありません。
じっくり時間をかけて信頼関係を築き、いつもさまざまなことを問いかけて自分で考える習慣を身に付けさせ、ちょっとしたことに気づいて認めてあげて初めて、
「このチームでは自分の意見を言える」
と子どもたちは思い、発言や議論が生まれます。
「言うことを聞け!」とばかり言っているうちは何年経っても、自分の意見を言える子なんて出てきません。
ではどうすればよいか?
大人になって自分の意見を言えるようになるためには、まずは子どものころから自分の考えを持つことを認めてあげることだと思います。
自分の考えを持つこともできなければ、意見を言うことなどできるはずはありません。
例えば、判定に対して思わず「なんで!?」と反応してしまうことは自己表現のひとつです。
そして、子どもの素直な表現のひとつです。
オフサイドぎりぎりを狙って、しっかり相手を観て動き出し、自分には確信があった、そんなときに吹かれたオフサイドの笛に反応することは、自己主張です。
そこで、子どもが審判に対して暴言を吐いたり、いつまでもグチグチ言ったりすれば当然指導の対象ですが、思わず出てしまった反応を咎める必要はないと思います。
私なら、
「いい狙いだったぞ!続けて狙っていこう!」
「気持ちを切り替えてプレーしろ!」
と言います。
素直であること、自分の考えがあることを認めてもらった子どもは、本来大人が望んでいた方向に育ってくれるのではないでしょうか。
審判へのリスペクトは、試合が終わって落ち着いてから、または翌日以降に、
「自分の思ったことと違う判定になることってあるよね。
そんなときなどうしたらいい?」
というようなお題を与えて、ディスカッションしたり発言を促したりします。
そうすれば、
「文句を言わない」
「切り替えて次のプレーに集中する」
という意見を子どもたちは導き出せます。
そして、
「どんな人のおかげでみんなは試合ができる?」
と、聞いてあげれば、その答えの中に審判は必ず出てきます。
それで十分です。
特に、小中学生のうちは、こどもは生意気でいいんです。
それを、小6や中3までで何かを完成させようとしてしてしまうから、大人も焦ってしまいます。
子どもは未完成です。
未完成のまま次のステージに送り出しましょう。
また次のステージで新たな刺激を受けて成長することを願って。