悪いことをした子には罰を与えるべきか?
チームでも、家庭でもそうですが、子どもが悪いことをしたとき、ルールを破ったときに、罰を与えるということについて、どう思いますか?
- ルールを破れば罰を与えるべき
- 話して理解させる方が大事
- 重い場合は罰を与える
など、さまざまな意見があると思います。
罰を与える理由は?
では、そもそもなぜ罰を与えるのでしょうか?
スポーツにはルールがあります。
例えば、サッカーでレッドカードをもらえば、その試合は退場となり、さらに最低1試合は出場できません。
当然、社会にもルールがあり、刑法や道路交通法など、罪の種類や重さに応じて罰則や罰金があります。
これらの罰の効果としては、本人に罪の重さを自覚させる、罰があることで抑止力になる、厳重に罰することで被害者や関係者を納得させる、などが挙げられます。
では、教育機関ではどうでしょうか?
高校になれば、停学や退学処分があります。
中学校以下でも、公立or私立や言葉の違い(停学はないが出席停止はある)などはありますが、処分というか公式に罰を与えることが認められています。
これらの場合は、本人に反省を促す意味と他の児童・生徒の教育を受ける権利の保証などの意味があります。
では、スポーツの青少年育成に携わるチームや家庭ではどうあるべきなのでしょうか?
やはり、他の例と同様に、罰には制裁、抑止力、被害者の納得感、他のメンバーの安全や安心の確保などの効果があると言えます。
これは、罰を与える理由と言い替えることができると思います。
こんなときどうしますか?
- スパイクを家に忘れた
- 寝坊して遅刻した
このような場合、私ならその日が練習でも試合でも、当然その日はプレーさせません。
それは、先ほどの理由からです。
仮にそれが原因で負けることになったとしても、それが育成だと思っています。
この意見には多くの方が賛同していただけると思っています。
そして、ここで大切にしているのは、
それでチャラにするということです。
次の日からは、他の子と同様に扱うし、ましてや冷たい態度を取ったりしません。
試合に出られないという制裁を既に受けているからです。
この、
既に制裁を受けている
ということが非常に重要で、それ以上の罰は、本人を傷つけるだけです。
例えば、乱暴な行為により、レッドカードを受け退場処分となる。
そのときは、突発的にやってしまったが、本人はとても反省していて相手にも試合後に謝罪した。
後日、審判委員会から呼び出され、事情聴取を受け、ことの重大さもかなり感じている。
出場停止の制裁も受けることになる。
このような場合に、チームでさらに、練習禁止や罰走などの罰を与えることは良くないと個人的には思います。
本人は、悪いと思っているので、罰を受け入れるでしょうが、重ねて罰を受ける度に自分を責め、自分を否定してしまい、卑屈な子になっていってしまうことになります。
こういう場合には、申し訳なさそうなその子に歩みより、
「反省しているんだね。
出場停止明けの活躍を楽しみにしているよ」
と言ってあげれば、これまで以上の頑張りやチームメイトへの心遣いを見せてくれるのではないでしょうか。
追加で罰を与えるのは、乱暴な行為で退場したのにまったく反省が見られないなど、ことの重大さを感じてない場合に限るということです。
大切なことは?
つまり、最も大切なことは、本人が変化するきっかけになることと、大人はそれを信じて見守っているというとこを伝えることだと思います。
そして、どんなにやんちゃな、手の付けられないような子でも、少しでも成長が見られたときには手放しで誉めてあげ、一緒に喜んであげることが、その子をさらに成長させることに繋がると思います。
育成は時間がかかる忍耐の必要な仕事ですね。