信頼関係を築くこと
今日からしばらくは、サッカーのコーチとして日々感じていることを綴っていきたいと思います。
スポーツの指導者をされている方はもちろん、子どもや部下、後輩の人と関わる方に、そしてだれかの親である方にも刺激になるような記事を目指して綴ります。
子どもはどんな人の言うことを聞くのか
2005年に大学が開設したサッカースクールのコーチのアルバイトを始めて以来、15年間子どもと関わってきました。
サッカースクールから少年団、高体連、クラブチーム、大学…様々な年代のサッカー少年や学生たちと触れ合い感じていることがあります。
こどもは大人を観察している
この人はどんな人なのか、
ちゃんとサッカーを知っているのか、
どこまでの行動が許されるのか、
冗談は通じるのか…
表情や仕草、声のトーンや話す内容、どんなときにどんなコーチングをするかなど、五感を駆使して大人を見極めようとしてきます。
その理由はひとつだと思います。
自分はこの人を信頼して、言うことを聞いて大丈夫なのか
これを全力で測ろうとしているんだと思います。
このことは、学校の先生と生徒、家庭では親と子どもでも同様だと思います。
大人の側はどうか
対して、大人はいかがでしょうか。
私はコーチになりたての頃、常に考えていたことは、
「ナメられないように、威厳を持たなければ…」
そんなことばかり考えていました。
いつもそう考えていると、言動はどうなっていくでしょう。
私の場合は、
- 態度は偉そう
- 指導は押し付け、強制
- 子どもが言うことを聞かなければ怒鳴り、罰を与える
- 気さくに子どもと会話をすることなどはない
そんな指導者(大人)を見て、子どもはどう感じるでしょう。
「意味わからんし、楽しくないし、この人嫌い
でも言うこと聞かないと怒られるし説教終わらんしょうがない」
と、諦めて折れてくれているのは子どもの方だったんだと思います。
そして、
「もういいや…」
と思ってしまった子は自ら去っていきます。
私は、サッカーが大好きだった有望な子を何人もやめさせてきました。
今思い返すと本当に申し訳なかったと思います。
私は約10年もそんな指導をしてきました。
最初の問いに戻ります
子どもはどんな人の言うことを聞くのか。
私はここをはき違えていたから
「ナメられないように、威厳を持たなければ…」
という思考になってしまったんだと思います。
そして、子どもにナメられること、自分の言うことを聞かなくなることを始めから恐れていたんだど思います。
私に人間的な魅力やサッカーのコーチとしての魅力があれば、そんなこと気にする必要はなかったんだと思います。
そのことに気づき始めたのはここ5年です。
今は、人としてもコーチとしても親としても、自分が魅力的であれるよう試行錯誤する毎日です。
最後に私の大切にしている言葉をご紹介します。
太上は下これ有るを知るのみ。その次は親しみてこれを譽む。その次はこれを畏る。その次はこれを侮る。信足らざれば、焉ち信ざられざること有り。悠としてそれ言を貴くすれば、功は成り事は遂げられて、百姓は皆我自ら然りと謂う。
老子 第十七章 より
本当の文章は今調べて知りました。
原文や現代語訳はググれば出てくると思います。
私は自分なりにこのように解釈して胸に刻んでいます。
未熟な指導者は、ナメられる
少し成熟した指導者は、恐れられる
よい指導者は、尊敬される
最高の指導者は、いるかいないかわからない