サッカーおやじの妊活&子育て奮闘記

男が家族のためにできること

母親の故郷

コロナウィルスの影響で休みが増えたので、普段はなかなか会えない私の祖母の家に遊びに行きました。

 

祖母の家へ

 

祖母はひとりで暮らしているので、遊びに行くととても喜んでくれます。

祖母からしたら、私は初孫で、私の娘は初曾孫です。

 

昔は、おばあちゃんちに遊びに行くということは、お小遣いをもらいに行くぐらいの感じでしたが、今は、可愛い曾孫の顔を見せにおばあちゃん孝行という感覚です。

 

そんなつもりで行った祖母の家で、私にとってとても大切なことを教えてもらいました。

 

母の歴史 

 

私の母は私が11歳のときに亡くなりました。

 

それから25年が経ち、悲しい気持ちなどはほとんど忘れてしまいましたが、母の母親である祖母から、私が子どもの頃の話や、母が子どもの頃の話をいろいろと聞かせてもらいました。

 

中でも、母には年子の弟がいて、家の近くの神社の杉の木で姉弟でよく遊んでいたことなど50年前の話は印象的でした。

 

娘との散歩

 

近くにコンビニができたとのことで、娘を連れて歩いて散歩に行きました。

 

娘のおやつと私のコーヒーを買って、ふとコンビニの裏を見ると、神社がありました。

 

祖母が話していた神社でした。


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私は娘を連れて歩いてみました。

 

国道に面したコンビニの横から階段をしばらく進むと、別世界の境内が現れました。

 

広い敷地の中に、大きな切り株を見つけました。

 

娘が、ここに座ろうというように指を差し、その切り株に腰掛けて、娘はおやつを食べ私はコーヒーを飲みました。

 

まさにその切り株は、幼少の母が50年前に遊んだ杉の木でした。

 

私は、孫の姿を母に見せるためにここに来たんだなと思いました。

 

家に戻り、祖母に話すと、祖母はまた嬉しそうに母の話をしてくれました。

 

祖母にとっては

 

祖母は、私の娘が生まれたときにもだれよりも喜んでくれました。

 

思えば、祖母にとっては、最愛の娘を若くして亡くし、それ以来、自分の直結の子や孫は全員男の子でした。

 

初曾孫である私の娘は、私の母以来の女の子でした。

 

私がその子につけた名前は、母が35年前に私が女の子だったらつけようと思っていた名前でした。

 

自分の親やその親との間には、百人いれば百通りのドラマがあると思います。

 

今のうちに祖母にいろんなことを教えてもらい、自分の子どもにもたくさんの昔話をしてあげようと思います。