進路にケチると貧乏になる
昨日の進路の決め方について綴りました。
その中で少し触れたお金の話をもう少し深く考えてみたいと思います。
お金がない
多くの人が口癖のように言う言葉です。
「お金がない」
これはどういう意味でしょうか?
1円もないんでしょうか?(笑)
そんなはずはありません。
なのに、お金がないと言い続けると、自分でそう思い込んでしまうし、なんでもかんでも安く済ませようとしてしまいます。
しかし、次の進路への進学を控える子供がいる家庭ならば、「お金がない」なんてことはないはずです。
子供の進学のために、貯金なり学資保険なり、投資なりしてきている家庭がほとんどでしょう。
であれば、お金はあります。
特に、子供の進学のために使うお金はちゃんとあるはずです。
だとすると、お金がないという言葉は、言っている親自身やその言葉を聞いている子供を、ここはお金がない家庭だと錯覚させてしまいます。
すると、あまり深く考えずに、お金がかからない方法での進学を無意識に考えてしまいます。
しかし、子供の人生を考えたときに、お金がある(=全くないわけじゃない)のに、自らお金に制限をかけて選択肢を狭めてしまうことは、どんなに愚かなことでしょう。
例えばネットでささっと調べた結果によると、高校の私立と公立の学費の差は3年間で約200万円、大学の私立と国立の差は4年間で約300万円でした。
仮に高校大学7年間で比較すると私立―私立と県立―国立では、500万円ぐらい違うことになります。
大きな差だと感じますか?
自分はそうは思いません!!
だれがあばれる君や(`´)
お金の使いどころ
本人の望むこと(勉強でなくてもいいと思います)が学べる、体験できる、それがたまたま私立高校と私立大学だったとします。
7年間主体的に学び会社からも評価されて適職に就いたとします。
一方、行きたくもない県立高校、国立大学に行き、やりたくもない勉強をさせられ続けて、安定を求めて探してなんとか内定した就職先で働き始めたとします。
初任給が同じだったとして、このふたり、のちに稼ぐ給料はどう変わるでしょう。
年収でわずか100万の差でもつけば5年で私立の7年分の学費はチャラです。
感覚的には、もっと差がつきそうじゃないですか?
だとすると、進学のときにケチっていた500万ってなんだったんですかね?
進学のときに出せなかったら困るだろ!!
奨学金があります。
利子がないものや返さなくていいものもあります。
500万ぐらいなら月3万で15年あれば返せます。
年収100万の差があるなら返済額を差し引いてもだいぶ余ります。
つまり、お金がないと言ってお金をかけない選択をした人は結果的にお金がない人になり、お金を惜しまず主体的に進んだ人は結果的にお金に余裕が生まれる、と言えます。
くれぐれも、県立高校や国立大学が悪いわけじゃないです。
行きたいかどうか?
やりたいことがあるかどうか?
です。
それがお金のかからないことならそれに越したことはないでしょう。
子供の将来のために主体的にお金を使うのを惜しむ必要はないということです。
あんた、頭悪いから塾行きなさい!
の塾代は主体的ではありません(笑)