サッカーおやじの妊活&子育て奮闘記

男が家族のためにできること

破水?!

 

 

ある朝

 

臨月に入って2週間ほどが経ちました。

 

まだ、出産までは少し時間がありますが、いつ生まれてもおかしくないという状態とも言えます。

 

おとといの朝、起きると、妻が少し慌てていました。

 

妻「布団が濡れてる」

 

私「破水?でも早くない?おしっこじゃない(笑)」

 

別に、私はただからかったわけではありません。

 

妊婦さんあるあるかもしれませんが、お腹が圧迫されて、普段くしゃみをしたりするだけでおしっこが漏れてしまうということがあったからです。

そして、なぜか、妻はその度に私に報告してきます。

黙っとけばいいのに、言わないと気がすまないようです(笑)

 

そんなことがちょくちょくあったので、今回もおしっこかなと思いました。

 

病院へ

 

しかし、今回は違うと妻は言います。

 

これまでくしゃみなどの衝撃でおしっこが出ることはあったが、そういうきっかけなしに漏れることはなかったそうです。

 

しかも、1人目のときは予定日の4日前に生まれました。

2人目は早いと俗に言われます。

また、妻の妹は2回の出産経験がありますが、1人目は予定日3日前、2人目は1週間前でした。

 

このようなことを考えると、予定日2週間前ですが、破水という可能性は十分あるよねということになりました。

 

急ではありましたが、そのときに備えて入院グッズは揃っています。

 

仕事前ではありましたが、娘も一緒に乗せて、妻を病院に送り届けました。

 

突然の2人暮らし

 

妻を病院へ送り届けたあと、娘と2人で家に帰りました。

 

私は、もう腹をくくっていました。

 

今はこんな時期なので、遠方に住む互いの親はこちらには来れません。

 

妻が入院すれば、私は事務所での仕事はすべて家で行い、練習には娘を連れていくか、他のスタッフに任せて休ませてもらうということも考えていました。

 

娘と2人の生活も経験済みなので大丈夫です。

 

娘もそんな感じです。

 

「ママ、おかいもん?」

 

と言っていたので、

 

「お医者さんだよ。弟くん出てくるかもね。」

 

と、私は伝えました。

 

「うん!」

 

と娘はニコニコしていました。

 

なかなか肝の据わった子だなと思いました。

 

急に来たな、と思いながらも、弟の誕生と娘と2人の生活にちょっとワクワクしている私もいました。

 

妻からの連絡

 

仕事は午後からなので、会社にはもう少ししてから連絡しようと思っていました。

 

ひとまずは、娘を不安にさせないように、一緒に遊んだり、朝ご飯を食べたりしました。

 

1時間ぐらい経ったころでした。

 

妻から電話が来ました。

 

 私「もしもし」

 

妻「おしっこだったー(笑)」

 

私「(笑)」

 

ホッとした気持ちと同じぐらい、ちょっと残念な気持ちでした。

 

でも、生まれるときはこんな感じなんだなというシュミレーションができたのでよかったです。

 

娘のときは、里帰り出産で私は間に合わなかったので、親に頼れない今回は、私と娘の落ち着きがとても重要だと思います。

 

そこは大丈夫そうだと確認できたので、一番心配症の妻には安心して元気な息子を生んで、何より母子ともに元気で帰ってきてほしいです。

 

なにせ娘のときには、インフルエンザにかかった状態で出産しましたので(笑)

 

臨月の妻へ

 

 

イヤイヤ期

 

最近、娘のイヤイヤ期がなかなか激しい。

 

うちの子は、比較的大人しい方だとは思うし、たぶんかなり育てやすい方だと思います。

それでも、何かをきっかけに泣き続けたり、グズり続けたりすると止まりません。

「やりたい!」と言えばやらないと気が済まないし、「やりたくない!」と思ったことは簡単にはやってくれません。

親の方もストレスが溜まってきてしまい、つい言葉が強くなったり、汚くなったりしてしまいます。

すると、娘は余計機嫌が悪くなるという悪循環に陥ってしまいます。

 

触れ合う時間の短い私ですら、かなりストレスに感じるし、体力も消耗します。

 

夫婦で分担

 

私が休みの日は、だいたい家族3人で過ごします。

妻の買い物や夕食の支度の間に私が娘を見たり、私がパソコンに向かっているときには妻が娘を見たりしています。

私が娘をお風呂に入れれば、お風呂上がりのケアは妻がやってくれます。

 

そんな風に分担できているので、触れ合う時間の短い私の負担も少ないし、妻もいつもの負担の半分ぐらいで過ごせていると思います。

 

13倍

 

ここで、ちょっと立ち止まりたいです。

 

私が子育てに関わるときは、基本的には妻も一緒にいます。

しかし、妻の子育てはいつも1人です。

 

私が休みの日は負担が半分だとすると、私が週に1回感じている子育ての負担の倍の負担を妻は残りの6日間感じ続けているということです。

つまり、妻6.5:私0.5の分担ということになります。

私は妻の13分の1しか子育てに関わっていません。

自分では結構イクメンのつもりでしたが、よくよく考えると勘違いも甚だしいですね。

 

しかも、臨月の妻は、常にお腹にもう1人抱えた状態で私の13倍の子育てをしています。

この状態の自らを、妻はおんぶにだっこと表現します。

言葉の意味は間違っていますが、言いたいことはとてもよくわかったので、特に触れませんでした。

 

明日から幼稚園の夏休みが始まります。

 

妻が1人になれる時間も短くなります。

私にできることは限られていますが、家族のために稼ぎながらも、時間をうまく作って13:1の割合を少しでも平等に近づけたいと思います。

 

それくらいしかできることは思い付きませんが、その気持ちを忘れずにいることが、普段の振る舞いや発言などにも繋がってくると思います。

 

今朝は1人でごみ捨て行かせてごめんね。

 

いつもおんぶにだっこありがとう。

 

 

子どもはお父さんの言うことなら聞く?

 

 

たまに父親が面倒をみると…

 

先日、私は1人で娘を幼稚園に連れて行きました。

 

普段は、妻が1人で連れていくことの方が多く、私が一緒に行けるときは行きます。

 

どこの子もそうでしょうが、うちの子もチャイルドシートに座ってくれなかったり、マスクをしてくれなかったり、何かしらごねることが多いです。

 

しかし、私と2人で行ったときは、とてもご機嫌で、ちゃんと言うことも聞いてくれました。

 

そのことを妻に話すと、驚いて、「すごいね!」と言ってくれました。

 

しかし、ここで1つ考えたいことがあります。

 

なぜ聞き分けが良くなるのか

 

あるあるだと思います。

 

たまに父親が面倒をみると、母親がいつも手を焼いている子どもが素直に言うことを聞きがち。

 

ここで大切なのは、これをどう捉えるか、だと思います。

 

多くの父親は、

 

「普通に言うこと聞いたよ。

おまえはいつもガミガミ言い過ぎなんだよ。」

 

と言います。

 

逆に多くの母親は、

 

「パパといるときは、子ども自身が自分でしっかりしなくちゃ、と思ってるの!!」

 

と言うでしょう。

 

これはきっと、どちらもあると思います。

 

しかし、どちらも、自分本意な気もします。

 

客観的に(とは言っても私が父親なので客観的ではないかもしれませんが)、子どもなら、たまに一緒にいれる父親にはやはりいい格好をしたいという気持ちはあるでしょう。

また、たまにしかいられない父親自身も、たまにだからこそ優しくなる(甘やかす)し、新鮮な気持ちで余裕を持って接することが多くなると思います。

 

結果的に、たまに一緒にいる父親と子どもの関係はその瞬間は良好になりがちということになっているんだと思います。

 

しかし、それはあくまで、たまにだからです。

 

父親はそれを認識すべきで、母親に対してリスペクトしても、間違ってもマウントを取るような発言をすべきではないと思います。

 

また、母親も割りきって、「気持ちよくさせといて面倒みさせよう」ぐらいの心持ちでいいと思います。

 

1週間反対になったら…

 

これは、極論、じゃあ1週間やってみろということだと思います。

 

たまに面倒をみて得意気な顔をしている父親は、ほんとうこれを考えた方がいいと思います。

 

また、母親も、家族のためにと思って外で頑張っている父親のことはぜひリスペクトしてあげてほしいです。

 

もちろん、中には、違った形の夫婦もあるでしょうし、片親の方からすると「なに贅沢言ってんだ」ということかもしれません。

 

みんな、それぞれの都合で、自分なりに子どもを愛していると思います。

 

そして、自分なりの方法でそれを表現していると思います。

 

みんなの子どもが健やかに育ちますように。

 

リーダーの器

 

 

子どもの教育の目的は?

 

子どもは生まれてから大人になるまで、たくさんの大人に育てられます。

 

仮に、高校卒業までで考えます。

両親、祖父母などの家族や親戚、保育園や幼稚園の先生、友だちの親、学校の先生、習い事の先生やコーチ、バイト先の店長や先輩など。

まだあるかもしれませんが、多くの大人に育てられていることは間違いなさそうです。

 

では、それぞれの大人は、何のために子どもの教育をするのでしょうか?

 

多くの大人は、問題を起こさないためや、人に迷惑をかけないために教育しているような気がしてなりません。

 

どうして問題を起こしてはいけないのでしょう?

 

それはいろんな人に迷惑がかかるからです。

なので、大人は言います。

「人に迷惑をかけるな」

 

このとき、大人はつけ加えます。

学校の先生なら、「学校の責任になる」

チームの指導者なら、「うちのチームが悪いと言われる」

親なら、「あんたのせいで恥ずかしくて近所を歩けない」

 

どうでしょう?

 

これは、教育と言えるでしょうか?

 

1人の行動でみんなが悪いと思われる

 

私も中学生や高校生のときによくハゲた校長先生や偉そうな学年主任などが言っていたことを覚えています。

 

「たった1人の行動でも、キミひとりではなく、○○中学校の生徒が…と言われる。○○中学校の看板を背負っていると思って行動しなければならない。」

 

それは本当でしょうか?

 

○○中学校の生徒が自転車で2人乗りをしているのを見かけたら、その学校全員が2人乗りしていると思いますか?

 

タバコを吸っているのを見かけたら、全員が吸っていると思いますか?

 

そんなことだれも思わないはずです。

 

ただ、大丈夫かな、と心配になって学校に連絡することはあるでしょう。

 

そのときは、学校で調査して、事実関係を確認して、教育して、場合によってはしかるべき処分をすればいいだけです。

 

それを、やれ、その子が悪いだの、担任の教育がなってないだの、親はどうなってんだなど、騒ぐことは筋違いです。

 

教育をしましょう。

 

成長

 

私の考えを述べます。

 

教育とは、成長させること、そしてそのきっかけを与えること、それに尽きると思います。

 

学校や指導者や親の身を守るために言うことを聞かせることが教育ではないです。

 

本人が成長するきっかけを与えてあげられたなら、一時的に問題を起こしたって、人に迷惑をかけたっていいと思います。

 

だって子どもですから。

 

そして、1回の指導ぐらいで、懲りずにまた問題を起こしたってしょうがないと思います。

 

だって、子どもですから。

 

子どもに関わる大人のみなさん、成長に失敗はつきものです。

 

長い目で信じて見守りましょう。

 

子どもはきっといつかわかってくれます。

 

それは、明日かもしれないし、来年かもしれないし、10年後かもしれません。

 

でも、信じて見守り続けること、きっかけを与え続けることが、私は本当の教育だと思います。

 

それをできない人が、すぐ処分処分と言ったり、罰を与えたりします。

 

懲らしめて優越感に浸っている場合ではありません。

 

子どもの気持ちに寄り添いましょう。

 

なんでそんなことをしてしまったのか?

 

一緒に考えましょう。

 

「おまえのそんな気持ちに気づいてやれてなかった」

「そんなに思い詰めていたんだな」

「友だちを思うがゆえのことだったんだな」

「ごめんな」

 

大人が信じないと、子どもも信じてくれません。

 

自分や自分の組織のメンツよりも子どもを守ってあげましょう。

 

そういう心意気を見せてあげましょう。

 

子どもは、自分自身ばかりを守る大人に気づいています。

辟易しています。

諦めています。

泣いています。

 

だから問題を起こすんです。

 

「問題を起こすな!」

と言うから、問題を起こすんです。

 

「人に迷惑をかけるな!」

と言うから、人に迷惑をかけるんです。

 

くだらないメンツは捨てましょう。

いつでも責任を取る覚悟で子どもを預かりましょう。

 

それが私たちの仕事です。

 

 

リーダーとして学ぶべきこと

 

 

異業種から学ぶ

 

ビジネスマンでも、スポーツでも、異業種や他競技から学ぶべきことは多いと思います。

 

自分の専門分野や同業者の人たちばかりからは得られない知見が得られたり、実は大切なことは同じだったりします。

 

なので私も日ごろから、極力いろんなことから指導者としても上司としても親としても、コミュニケーションのヒントを得ようとアンテナを張っているつもりです。

 

しかし、今回は、こんなに身近に学ぶべきことがあったという、灯台もと暗し的なお話です。

 

師匠は…

 

昨日、私は久々に1日家族で過ごしました。

 

休みでも、なんやかんやパソコンを触っていたりして、ゆっくり家族の時間をここ数日は取れていなかったです。

 

この日は、特にそういった作業もなく、また、雨ということもあり、家で妻と娘と過ごしました。

 

そうです。

今回の師匠は私の妻です

 

夕食の時間のことでした。

 

2歳半の娘は最近、あまりごはんを食べない日が多く、この日もそうでした。

 

食事に飽きたのか、椅子から降りてフローリングに座っていました。

 

そんなときは、残りのごはんを妻がラップに包んでおにぎりにして、娘に渡します。

そうすれば、食べてくれればラッキーですし、残しても保存しやすいです。

 

最後まで椅子に座って食べるというお行儀については、少しずつかなと思うので、今はとにかく少しでも食べてくれればという感じです。

 

しかし、このとき娘は、妻からもらったおにぎりを遊びのつもりで踏みつぶし、投げました。

 

これはいけません。

 

私なら叱って教えるべきだと考えるところです。

 

しかし妻は、口調は厳しくて強かったですが、諭すように娘に伝えました。

 

「食べ物をそんなふうに粗末に扱うのはダメ!

拾いなさい。

ママ怒ってるんじゃないよ。

分からなかったもんね。

でも、食べ物は大事にしないといけないの。

もうしないでね。

次やったら怒るからね。」

 

もちろん、娘はすべての言葉を理解しているわけではないはずです。

でも、妻の言いたいことは十分伝わったと思います。

 

まだイヤイヤ期も続いている娘ですが、妻のこの言葉には素直に従い、投げたおにぎりを拾いました。

 

そして、それ以降、そのおにぎりを粗末に扱うことはなく、食べてくれました。

 

妻から学んだこと

 

今回の妻の凄さは、相手の立場に立ちつつも毅然と線引きをしたことだと思います。

 

私なら、食べ物を踏みつぶした時点で、

「なんでそんなことするんだ!」

「だめだろ!」

と、なってしまうと思います。

 

しかし、からしたら、それは知らないだけのことで、「ちょっと遊びのつもりだったのになんでそんなに怒られるの?」と思えば、納得しないでしょうし、反発してさらにひどいことをしてしまう可能性もあります。

 

すれ違いは、相手は自分と同じ目線に立っているはずだという思い込みから生まれるということだと思います。

 

相手はどんな目線で物事を見ているのか、自分とは違う知識や経験を持っているかもしれない、と考えて、そこを理解しようとすることが重要なんだと思います。

 

今回の妻がまさにそれで、娘は食べ物を踏みつぶすのがどんなにいけない行為なのか知らない、という立場を理解して、その上で教えた、ということだったんだと思います。

 

そして、「次は怒るよ」というのも明確だし、ちゃんと認めている感じを受けました。

きっとそれが娘にも伝わっています。

 

つまり、子どもを指導する親でも、青少年を指導するコーチや先生でも、部下を指導する上司でも同じことだと思います。

 

要は、自分の当たり前と相手の当たり前は違うということです。

 

年齢や立場が上だからといって、自分の当たり前を押し付けたり、自分の当たり前だけが正しいと思ってしまったりすることがどんなに危険か思い知らされました。

 

仕事の仕方すら変わりそうな刺激を与えてくれた妻に感謝します。

 

諭されたのは娘ではなく、私でした(笑)

 

 

アイスクリーム事件再び

 

 

あのアイスクリーム屋へ

 

1か月ほど前に世紀の大事件が起こりました(大げさ)。 

www.gucciia.me

 

再び、同じアイスクリーム屋に行きました。

以前と同じ、何種類も選べるボリューミーなセットにして私と妻と娘、それぞれ好きな味を全部で6種類選びました。

 

前回の件から一度そのお店を利用しましたが、その際には特に問題はなかったので、また利用しました。

つまり、2週間に1回です。

アイス食べ過ぎ。

 

今回は、これまでになかった確認作業が追加されていて、アイスを詰めたあとにフタをしてドライアイスも載せて、渡してもらう際に、「これが何味で…」と1つずつ確認してくれました。

 

そして、意気揚々と帰宅。

 

すると、娘が寝てしまったので、ひとまずアイスは冷凍庫に入れて、1時間ほど過ごしました。

 

私も妻もそろそろ我慢も限界という頃に娘が目覚め、みんなで食べることにしました。

 

事件、再び

 

箱からドライアイスを取り除き、アイスクリームを取り出した妻が、

 

「何これ!!?」

 

なんと、同じ味が2つ。

 

つまり、6種類頼んだのに、5種類しか入っていませんでした。

 

私は、そのぐらい…と思いましたが、妻の顔をチラッと見ると、この世の終わりのような表情をしています。

 

大げさだなと思いましたが、入っていなかったのは、唯一妻が食べたかった味だったのです。

 

我ながら、我が妻はとても控えめで、何事にも強いこだわりなどほとんどなく、私や娘に何でも合わせてくれます。

 

そんな妻のわずかなこだわりの1つが、このアイスです。

 

いちごのショートケーキのような味で、毎回必ずこの味はファーストチョイスになります。

 

それだけがないという運の悪さ。

 

本気で泣きそうな妻。

 

最近娘の機嫌も悪く、私は仕事で忙しかったので、1週間ストレスを抱え続けた妻の束の間の休息が、一瞬にして奪われたということです。

 

しかも今回は、中身の確認作業があったのでこちらも文句は言えないし、雨も降ってるし、今さらもう1回行く気にもなれない、横で私は早く食べようと言い、娘はすでに口を汚して食べ始めているという、妻にとっては八方塞がり、四面楚歌。

 

ちなみに、確認作業をしたのに間違えに気付かなかったのは、上にドライアイスが乗っていたのと、まさか間違ってるとは思っていなかったという2つの敗因があると思います。

 

解決

 

私は、何とか妻をなだめて、「みんなで食べることが幸せだ!」などとホザきながら娘に話しかけたり、紅茶を淹れたり、楽しくアイスを食べるように振る舞いました。

 

そして、ダメもとで同じお店が近くにないか調べると…

 

あった!!!

 

しかも奇跡的にいつもの店舗より若干近くに!!

 

慌てて妻にご報告!!!

 

すると、妻は

 

「今回は、もうこれからはこっちのお店に変えろっていうメッセージかな」

 

と、奇跡の一言。

 

私は、地面に着くぐらい胸を撫で下ろし、何とか楽しいアイスクリームタイムになりました。

 

浪費と消費と投資

 

 

この使い方は?

 

昨日、お金をドブに捨てた人の話を書きました。

 

かくいう私も、最近になってやっと、そういう考え方はが身に付いて来ました。

 

なので、最近はお金を使うときに、これはどういう使い方か、自分に問いかけています。

 

これは浪費か、消費か、投資か?

 

投資と思えるものには迷わず使います。

 

使わず節約か、使って回収か

 

最近ハマっているのは、高速道路にのることです。

 

私の職場は1か所ではありません。

 

会社までは30分ちょっとで着きますが、練習会場の1つは会社からさらに30分ほど離れます。

 

つまり、帰宅時には1時間以上の道のりを運転することになります。

 

この道のりで高速道路に乗れば、20分ほど短縮できます。

下道が混む時間帯なら30分ちょっと短縮できます。

 

通行料は500円です。

 

この500円は、浪費、消費、投資のどれでしょうか?

 

私は、しばらく前まではこれを浪費と捉えていたんだと思います。

 

手元から500円が無くなる。

 

週2~3回のこの機会で下道を使えば、月に5000円ぐらいの節約になる。

 

 

本当ですか?

 

下道で帰ることで20~30分の時間を失います。

そして、運転時間がその分長くなることで疲労が溜まります。

 

仮に、時給3,000円だとすると、500円を節約して1,000~1,500円を失うことになります。

 

そして、1回でも居眠りや不注意で事故を起こせば、節約した毎回の500円すらもパーです。

 

どちらがより節約していると言えるでしょうか?

 

そして、高速道路に乗って時間を買うことは、投資です。

 

この時間で体力を回復したり、本を読んだり、溜まった仕事を終わらせたりすることで、自分の時給を上げることができます。

 

高速道路代はそれで回収できると考えます。

 

みなさんはどう思いますか?